9月23日(土曜日)
鳥取の《砂の美術館》から次の宿泊地〈城崎温泉〉へ向かって
国道178号線を北上中、兵庫県香美町で非常に高い陸橋の下を
通過しました。
●余部鉄橋
JR山陰本線鎧駅と餘部駅の間にかかる高さ41.5m、長さ310.7mの鉄橋で、トレッスル式と呼ばれる鋼材をやぐら状に組み上げた橋脚が特徴で、この種の鉄橋では日本一の規模を誇ります。
明治42年(1909年)に着工し、2年半の歳月と約33万円(現在地に現橋梁と同じものを建設する場合の工事費用概算:42億円)の建設費、延べ25万人の労力をかけ、明治45年(1912年)に完成しました。
JR山陰本線鎧駅と餘部駅の間にかかる高さ41.5m、長さ310.7mの鉄橋で、トレッスル式と呼ばれる鋼材をやぐら状に組み上げた橋脚が特徴で、この種の鉄橋では日本一の規模を誇ります。
明治42年(1909年)に着工し、2年半の歳月と約33万円(現在地に現橋梁と同じものを建設する場合の工事費用概算:42億円)の建設費、延べ25万人の労力をかけ、明治45年(1912年)に完成しました。
(香美町HPより)
実際に使われていた橋梁の一部
当時の橋梁の基礎
《空の駅 展望台》へ行くにはこの坂道を登らなければなりません。
地元の人達はこの坂道を登り・降りして汽車(電車)を利用し、
雪の降った日などは危険であったそうです。
坂道を登れない主人にはとても展望台へは行けませんし、
私も登る元気も無いので下から見学ですが、今年の11月に
エレベーターが完成するそうですので、それ以降ならば私も主人も
展望台へ行けると思います。
因みに、餘部駅の1日当たりの利用人数は:
2010年 98人、2011年 48人、 2012年 45人、
2013年 57人、2014年 59人、 2015年 48人
1986年(昭和61年)12月に起きた回送列車の転落事故の犠牲者を
慰霊するために建てられた観音像。
時刻はもう4時を回っていましたので、急いで今夜の宿泊地
〈城崎温泉〉の《大江戸温泉物語きのさき》へ向かいました。
ホテルは温泉街から少し離れたところにあり、いわゆる昔からの
城崎温泉の川沿いに並ぶ木造3階建ての由緒ある旅館とは違い
6階建ての温泉ホテルでした。
7つある外湯へはホテルから15分間隔でマイクロバスが巡回していて
ホテルの入浴券を提示すれば全部無料で入浴できます。
(右下隅の⨁マークをクリックしてください。拡大します。)
私達は早速浴衣に着替えて外湯巡りに出掛けましたが、《鴻の湯》
1ヶ所だけでした。
夕食はバイキング形式ですが、種類も沢山並べてあり
目の前でローストビーフをマッシュドポテトと盛り付けたり、ビーフステーキを
焼いてくれたりとお値段の割に豪勢でした。
若いグループなどは一人でローストビーフ・ステーキを各3皿ずつ積んでいる
強者もいました。
お部屋も18畳の和室と広く、お風呂も大きくて清潔でした。
4階のお部屋からの景色、円山川です。
ホテルの玄関で
チェックアウトをしてから《温泉寺》と山頂からの眺望を楽しもうと
ロープウエイの乗り場へ行きました。
駐車場に着いてみると、ロープウエイの乗り場まで相当数の階段を
登らなくてはいけないとわかり断念しました。
予定が少し狂いましたので、早めに出石へ行って出石蕎麦を
食べることにしました。
主人は一人前(5皿)、私は3皿いただきました。
街の中にはあちらにも、こちらにもお蕎麦の看板や幟を
掲げたお店が目につき驚きました。
お蕎麦で有名な所で、競争も激しいでしょうからか大変美味しく
いただきました。
これで今回の旅行の予定がすべて終わりましたので、最後に
舞鶴市の《とれとれセンター》に立ち寄って帰宅しました。
舞鶴市内で走行距離が丁度1,000キロになりました。
いつもの事ながら「裕子ちゃん」の追っ掛けのおかげで
あちらこちらへと旅行ができ、老後の余生を楽しんでいます。
いつまで出来るやら・・・(笑)
走行距離は1,223キロでした。
ー END -